大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)895号 判決

岐阜市柳ケ瀬通り三丁目二四番地

上告人

富田静香

同所

上告人

富田美恵子

同所

上告人

富田泰弘

右三名法定代理人後見人

武藤種順

同所

上告人

笹本兤

右上告人四名訴訟代理人弁護士

上井源次

宮原正行

同市加納長刀堀四丁目二〇番地

被上告人

高橋保之助

右当事者間の請求異議事件について、名古屋高等裁判所が昭和三〇年七月一四日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人上井源次、同宮原正行の上告理由第一点について。

一、論旨の指摘するところによつて原判示を調べてみても所論のような理由齟齬乃至は経験則違背あるものとは認められない。また二、所論の「控訴を取下げれば示談に応ずる」という原審認定事実から直ちに強制執行をしないことを約したものと認定しなければならないということもない。所論は原審の認定に沿わない事実を前提として権利濫用を主張するものである。原審認定の事実によれば、上告人等の権利濫用の抗弁を排斥した原判示は相当と解される。論旨は理由がない。

同第二点について。

一乃至四の所論はすべて原審における証拠の採否または事実認定の非難に帰する。原審の採用した証拠によれば、原判示事実を肯認し得られないことはないから、所論のように経験則違背ありということはできない。

所論五には、裁判官伊藤淳吉は本裁判につき除斥原因があるとの主張がなされているが、所論は民訴三五条六号の規定の解釈につき独自の見解を主張するものであつて採用に値しない。

その余の論旨は原判決の違法を主張するものと認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 島保 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 垂水克己)

昭和三〇年(オ)第八九五号

上告人 富田静香

外三名

被上告人 高橋保之助

上告代理人上井源次、同宮原正行の上告理由

第一点 原判決は民法第一条第二項第三項に違背しているし、その判決理由は、前後矛盾していて理由の齟齬があり、判決に影響を及ぼすことが明かであるから、破棄されなければならない。

一、第一審並に原審判決事実摘示の如く、上告人等(被告)被上告人(原告)間の岐阜地方裁判所昭和二十三年(ワ)第一六五号第一六六号建物収去土地明渡請求事件につき原告勝訴の判決言渡あり、上告人等はこれを不服として名古屋高等裁判所に控訴申立を為したが昭和二十七年十二月二十四日その控訴を取下たので前記判決は確定した。(右事件を本件と区別する意味で旧事件と略称)

しかし、右控訴の取下げは当事者間において話合で事件を解決しようということになり、そして被上告人の控訴を取下げて来いという強い要求があつたために取下げたものであることは、原判決事実摘示並に理由記載により明かなところである。

その話合い乃至示談の性質、並に話合いの経過に関しては、上告人等の主張と相反して、原判決は日本人の経験則に沿はない事実認定をなしたのである。

即ち、上告人等(被告)は本件土地につき、新しい賃借条件で新賃貸借の話を進めて妥結させるために、林基吉、橋本治六、佐野作一の三人にその仲介斡旋を頼み、同人等も右の目的達成のために之を引受け、そして同人等は被上告人に右の趣旨を明示して交渉を進めたのである。(右三人の第一審証人尋問調書、及原審証人林基吉、橋本治六一、二回証人尋問調書)

然るに原判決は同月(昭和二十七年十二月)十六日、佐野、林の両名は被控訴人(被上告人)方を訪れ、同人に自己の立場を説明した上、本件土地に関する明渡問題を穏便に話合い(又は示談)で解決して貰いたいと申入れたところ被控訴人は「自分も穏便に解決できればそうしたい。話合いをするについては控訴人において控訴を取下げて対当の立場になつてからしたい。そうすれば話合い(又は示談)に応じよう」と答えた。その際、控訴を取下げれば貸す話をしてもよいとか、又は貸してやると言う様な話は出なかつたのであり、被控訴人が話合い(又は示談)に応ずると言つた趣旨は、被控訴人の心算では―中略―強制執行の方法によらないで円満に立退いて貰うことに話合い(又は示談)をする考えであつたのである。兎に角、佐野、林の両名は被控訴人に話合いの意のあることを知つて喜んで帰り、橋本と共に控訴人等にその顛末を述べて控訴を取下げることを勧めた。然し、控訴人等は之を心配し、控訴代理人上井弁護士に相談したところ反対されたので、更に林、橋本に「控訴を取下げずに判決言渡期日を延期して貰い、その間に話合いをして貰いたい」と依頼した。林は念のため之を被控訴人に計つたが同人は之を拒絶したので、林、橋本の両人は控訴人等に対し、「被控訴人が取下してくれば話をすると言つているのだから兎に角取下げて来い。我々が仲に入つた以上我々を信用して、又被控訴人を信用して取下げよ」と強力勧めたので、控訴人等は同月二十四日(判決言渡日の前日)名古屋高等裁判所に控訴取下書を提出するに至つたことを認めることができる。被控訴人が控訴人等に控訴取下げたときは本件土地を貸してやると言明した旨を供述する当審証人柳原〓ま、同林基吉、同橋本治六(一、二回)の証言は右諸証拠に照し措信できない。

と認定した。

しかしながらこの認定は

イ、それ自体前後矛盾の認定であると謂はざるを得ない。何となれば、上告人等の依頼に応じて被上告人を訪れた林、佐野が本件土地についての立退問題を穏便に話合いで解決して貰いたいと申入れたところ、被上告人は、それは自分も望むところであるが、話合いをするについては控訴を取下げて来いと答えた、と説示し、後段において右両名が上告人等に控訴の取下げを勧めたところ上告人等は之を心配し上井弁護士(控訴代理人)も之を反対したと判示しているが、上告人等が林、佐野の両名に立退問題の穏便解決を依頼したものなら、控訴取下げを心配する訳がないし、上井弁護士も穏便立退の話合を上告人等が承知しての話合いなら反対する理由もない。控訴取下げを心配し判決言渡期日を延期して、その間に話合いを妥結させることが主眼なら右両名への上告人等の依頼の筋は本件土地からの単なる穏便立退きの依頼でないことが明確であるからである。

ロ、そも〓被上告人から本件土地の明渡を訴求されている上告人等が穏便に同土地から立退く考えならサツサと各自建物を収去して移転すればよい訳で、それだけのことをわざ〓第三者に依頼して話合いをして貰う必要はない。この経験則は日本人の何人もよく知つているところである。然るに原判決の認定はこの経験則を無視してなされ前後矛盾してゐるのであるから判決理由に齟齬があると謂はざるを得ない。

ハ、原審判決を全証拠と対照する時、採証の点に於て一面に於て証拠として採用し乍ら他面に於て同一証拠を措信せずと認定してゐる点が多く自ら判決に理由齟齬ある事実を暴露してゐる。

二、かりに事実が原判決事実認定の通り、上告人等が控訴を取下げれば示談に応ずる、その示談は賃貸することを意味しないとしても、被上告人が前記旧事件の確定判決に基き強制執行に出ることは信義則に反し権利の濫用であるから許されないものである。その理由

イ、被上告人は旧事件の控訴を上告人が取下れば示談に応ずると云うので上告人等は控訴を取下げたのである。

従つて裁判は形式的に確定はしているが、当事者間にはその事件の解決は裁判によらず、示談により解決するとの契約が成立したため控訴の取下げを為したのであるから、当事者間に於ては判決による強制執行はなさないとの契約があるものと謂なければならない。

しかるに示談交渉を尽さず、(尽したと云う証拠は何もない)突然強制執行に出た被上告人の行為は、正に信義則に反し、権利の濫用である。

ロ、原審判決理由は

―この話合い又は示談とはその文言の上から見ても本件土地を賃貸するの意に解されないし、又その経過から見ても……中略……本件土地を賃貸することを条件としてなされたものではないと言うべきである。従つて、控訴人等の控訴取下後、被控訴人において本件土地を賃貸しなければならない義務を負うものではないから、話合いの結果被控訴人に於て賃貸に応じないで云々―

と理由づけているが、

1 本項イの如く示談とは判決によらず話合いの上解決する旨のことであつて、賃貸しなければならない義務を負うものではないとしても、直ちにこれを以て「土地明渡を敢行するもその行為を以て信義に反し権利の濫用であるとなすを得ない。」とはなし得ない。

2 特に原審並に第一審証人全部の証言を綜合するとき、「話合い又は示談」は、被上告人が強制執行の断行に出た時期に於ては、未だ交渉の進行途上にあつて、当事者間に未だその結論を出していない時であつた。

当事者間に「話合い又は示談」の成否の結論が出ない以前に於て、話合い又は示談をすることを条件として控訴を取下げ、その結果確定した判決により強制執行の挙に出ることを以て、信義則に反し権利の濫用でないとするならば、何を以て反信義則、権利の濫用と言うのであらうか。

ハ、更に考えるならば、被上告人は、当初より何等示談解決の意思なきに拘らず、たま〓仲人の示談話が出たのを奇貨とし上告人側にこれある如く申向けて控訴取下げをなさしめ、もつて容易に判決を確定せしめて土地明渡を断行しようとしたものと見ることが出来るが、しかりとするならば、上告人の控訴取下げ被控訴人の明渡断行は被上告人の詐偽によるものと云うことが出来る。

かく見ることが全体から見て正しいと考えるが、かかる被上告人の行為を特に第一条に信義則を掲げる日本国民法の立場においてこれを容認することが出来るであらうか。

三、以上によつて明かな如く原判決には理由の齟齬あり、且つ被上告人の土地明渡の強制執行は民法第一条第二項第三項に反するものであるから原判決は破棄を免れないものである。

更に第二点に於て明かにする如く、被上告人の前記行為は正に信義に反する行為であるところ、原審判決認定事実は之と全く相反するものであるから、同判決は破棄せらるべきものであることがわかると信ずる。

第二点 原判決は民事訴訟法第百八十五条に違背してなされ、判決に影響を及ぼすことが明かであるから破棄せられなければならない。

一、民事訴訟法第百八十五条は自由心証の規定であることは明かである。自由心証とは恣意を許すと云う意味ではなく、論理並に経験則を基礎として確実にして明瞭な事実の認定をなさねばならないことである。採証の自由、心証の自由と云うことは、裁判官の事実認定は無制限無条件に自由であるということではない。裁判官の採証乃至心証が論理経験則を無視し、殆ど恣意を以てなされた場合は民事訴訟法第百八十五条の範囲を逸脱したものとして民事訴訟法第三百九十四条の上告理由となるものと信ずる。

原判決は判決の結果を左右するすべての点において論理及び経験則を無視して予断と恣意によつて事実認定をしているからこの意味において破棄を免れないものと信ずる。

その事実を次に詳述する。

二、右示談の意義について

イ、昭和二十七年十二月二十四日上告人等が控訴の取下を為すに至つたのは、控訴を取り下げてくれば示談に応ずるから控訴を取下げて来てくれとの被上告人の強い要請があつたからであり、上告人等はこの要請に基いて前掲控訴の取下を為したことは当事者間に争いのないところであるが、その示談とは如何なるものであるか、に関して当事者は互に主観を異にしている、(此の事実については第一審判決は明確に之を是認している、しかしかゝる主観は後に至り何とでも都合のよい様に言い代えることができるのである)被上告人に於ては円満立退きのための話合いの意味であつたと主張し上告人にありては新らしい賃借条件で新賃貸借を妥結させる話合いの意味であることは既に第一点において述べた通りである。然るに第一審並に原判決は被上告人の腹づもり(心裡留保)をそのまゝ採用して右示談の意義を円満立退きについての話合いであると認定しそして昭和二十七年十二月十六日以後の被上告人と前示林基吉との交渉内容について何等具体的な検討を為すことなく単に右日時における被上告人と佐野、林との会談の際に新賃貸借に関する話が出なかつたという消極的事実だけを捕へて右の如き認定を下し、そして此の認定に反する上告人提出の一切の証拠の信憑力を排除するために漫然と右認定に反する証拠並に証言は措信できないと判示しているのであるが、これでは法治国の国民たるもの何人と雖も承服するを得ないのであつて、斯る事実の認定こそ経験法則を無視し採証自由の限界を超えた無暴も甚しい事実認定である。

何となれば

(一) 第一審原審を通じてのすべての証人並に当事者本人の尋問調書並に書証によるも立退きに関する話合いは寸毫もなされてゐない、かえつて新なる賃貸借に関する話合がなされていること並に之を窺知するに足る証拠が圧倒的に多数であつて控訴を取下げれば円満立退きについて話合うと云う被上告人の主張は単なる主張に止り之に対する何等証拠の裏付がない。にもかゝわらず第一審原審共「証拠の綜合」と云う便利な言葉を使用して被上告人の主張を認容している。

(二) 経験上考える時円満立退の話合いならば控訴を取下げてまで話合をする必要もないし、仲人を頼む必要もない(上述)。又斯る話合なら敗訴になつてからでも出来るし控訴で負けたとしても上告と云う方法もある。しかのみならず未だ勝敗もわからない時に好んで立退きの話合をするものはない。

又仲人となつた林基吉、橋本治六等が自分等に一任せよと迫る(証人林基吉、橋本治六上告人尋問調書)ことも考えられない。

(三) 更に強制執行によらず穏便に立退くことは被上告人の最も歓迎するところであるから被上告人が判決言渡期日の延期に強く反対することも(林基吉第一審証人訊問調書七問)常識上その理由が考えられない。

(四) 次に述べるロの点より見ても円満立退の話合をする為に控訴の取下げをしてくれば話合うという被上告人の言を了承したということは常識ある人の判断では出て来ない。のである。

むしろ却つて新に賃貸する話合をするから控訴を取下げよと申入れたものであると解さなければ経験法則に適合しないのである。特に該事件の控訴代理人上井弁護士は第一審事件の乙第六号証の一乃至五(本件甲第八号証の一乃至五)により被上告人が上告人等の賃料供託金を受領してゐる事実に立脚し上告人等の勝訴を確信してゐたので強く控訴取下に反対した(原審上告人武藤種順供述)のを上告人等は押して控訴取下を為した点等より見ても新なる賃貸借の話合がなされることとなつたればこそ、控訴取下を為したものと云うべきである。

ロ、昭和二十七年十二月二十五日行はれた上告人等と被上告人との話合い並にそれに続いての話合いに於ての賃貸借の成否に関しては原審判決は第一審判決を全面的に援用して賃貸借の成立を頭から否認する事実認定を為してゐるが本事実認定こそ故らに事実を歪曲したものである。

何となれば

(一) 被上告人の要請により昭和二十七年十二月二十五日上告人並に訴外柳原はま等は各自別々に被上告人に面会交渉をなしたのであるが、(第一審柳原はま証人訊問調書同上告人武藤種順、笹本〓供述)その面会交渉が円満なる立退の話合ならば、而して立退後被上告人に於て本件土地を使用する意思があるならば右三人を同時に招致して立退の話合を進めることが便利で話が早いのである各自個々別々に話合う必要は何もないのである。

(二) 被上告人は甲第一号証の延滞賃料並に増額賃料を記載した紙片を上告人笹本〓に交付したことは当事者間に争いのない事実であり同様の紙片を訴外柳原はまにも交附して居る(甲第一〇号証)且上告人武藤に対しても同様の事を申向けてゐる(上告人武藤の第一審本人訊問四問)が右紙片の性質に関し原審(第一審)判決は被上告人の主張(この証拠となるものは被上告人尋問調書のみ)をその儘容認して「甲第一号証は延滞賃料及固定資産税増加に伴う増額賃料を参考のため書出し原告笹本〓に交付したものに過ぎないものと認めらるる。」と判示してゐるがこれ亦誤りも甚しいものと言わねばならない。

何となれば

1 被上告人の家屋収去土地明渡請求事件に於ける主張の基礎は、昭和二十三年に既に賃貸借が消滅したことにあるのである。

従つて延滞賃料なるものはあり得ないのである。

2 円満明渡の交渉ならば斯る増額賃料並に固定資産税増額分に対する賃料の計算をその際にする必要もなくわざ〓紙片に記載して手交する必要もない。

3 上告人等は夫々昭和二十七年十二月二十五日被上告人より昭和二十七年十二月十五日迄の延滞賃料並に右増額賃料を示され(上告人等供述)更に同年十二月十六日以降は一ケ月一坪につき六十六円三十五銭としての賃料を支払うよう申渡されたのである(同上)が上告人等はその翌日たる同年十二月二十六日延滞賃料並に固定資産税の増加に伴う増加賃料を夫々被上告人方に支払の為持参したのである(同上)このことは被上告人に於ても争なきところである。(第一審高橋正六第二回証人尋問三五問)

従来長期間被上告人指示通りの賃料供託を続けて居るのであるが昭和二十七年十二月二十六日上告人等が直接被上告人方に支払の為前示賃料を持参したことは、その前日たる同年十二月二十五日に被上告人との間に於て新賃貸借契約の成立がなければ常識上考えられないことである。この時応待に出た高橋正六は「はつきりきまつておらないから地料は受取れない」(同人第一審証人訊問三五問)と断つたと云つて居るがこの時の模様について証人柳原はま等は被上告人に於ては地料の他に訴訟費用及弁護士費用を上告人等より貰はねばならぬがまだその額がわからないからそれがわかつてから一緒に貰うと云つて受領しなかつたものである。(柳原はま第一審証人訊問二〇問武藤種順第一審本人訊問一二問笹本〓同 問)としてゐる。しかし前後の関係より見るとき上告人等は少くとも賃貸借の成立なき限り話合いの翌日賃料を持参支払うが如き挙に出ることは考えられないし、前記高橋正六の証言も上告人等に対して答えた部分は上告人等の主張と相反するものではない斯る点より見ても賃貸借契約の成立は容易に想像し得られるのであつて、甲第一号証は被上告人が賃料延滞分等として支払のためその額を示したものと言わねばならない。

(三) 甲第一号証に対する乙第一号証乃至第四号証の一、二は供託不受領に関する証拠であるが、之等の証拠に対する原判決の如き見方こそ可笑しいのであつて被上告人に於て契約成立後その意思が変り上告人等の供託を受領しなかつたものに過ぎず上告人等が供託したのは従来の被上告人の性格から見て万全を期したものに外ならない。よつて乙第一号証乃至第四号証の一、二に基き原判決の如き事実認定をなすことは特段の先入観乃至恣意によらない限り考えられない。

三、各証拠の信憑力に関して

イ、この点に関し原判決は甚だ不可解である。

少なくともはじめに判決の結論を定め、その線に沿うやうに証拠の信憑性を価値づけて事実認定を為したもののやうでその思惟過程は本末を転倒してゐる。原判決が論理、経験、法則を無視したと云はれるのはこゝにあるのである。

次にその点に関して述べる。

ロ、原審並に第一審に於ける証人林基吉、佐野作一、橋本治六、白木常一はすべて本件に関しては全く利害関係なき第三者である。

彼等は只被上告人と上告人等との間に立ち仲裁つとめ或は被上告人の使いをしたものである。

而して彼等は昭和二十七年十二月十四日以来同月二十五日新なる賃貸借の成立並に其後の事情につき宣誓の上詳述してゐるのであるが原審は事件の重要点に関する同人等の証言をすべて措信せずと一蹴してゐる。

上告人等の尋問の結果については、当事者であるから或は措信されないことがあるかも知れないが、最も利害関係なく少なくとも誠意を以て事件の解決に当つた右証人等の証言が係る取扱を受けたことは全く釈然たり得ない。

ハ、他面に於て賃貸借の成否の点に関し原判決並に第一審判決は証人高橋正六の証言を全面的に措信し、これを以て事実認定の最も重要なる基礎としてゐるが

(一) 同人は被上告人の長男である。

(二) 昭和二十七年十二月二十五日新たなる賃貸借の話合い(仮りに単なる話合いであつたと見てもよい)のあつた際同人が、話合いを為した部屋の隣室にいてその話合いを聞いたと云う第一審第一、二回証人供述こそ寔にでたらめ極るものである。

何となれば

1 被上告人家は高橋正六第二回証人尋問調書三二問の如く玄関の両脇には便所と台所とがあつて、玄関のつき当りに四丈半その奥に四丈半その横に六丈の間があつて被上告人が上告人等と話をしたのは玄関突き当りの四丈半であつた。而して上告人武藤同笹本、訴外柳原はまが交互に被上告人方に於て話を為した時間の合計は少くとも四時間以上であるがその間上告人等全員は勿論右武藤と共に行つた訴外橋本治六も高橋正六の在宅することを見なかつたのである(橋本治六第一審証人訊問調書証人柳原はま原審第一審証人訊問調書上告人等供述)

同人家の間取り並に時間より見て上告人等の誰かと一度位は顔を合せるか姿を見せるのが当然である点。

2 高橋正六は被上告人の長男であるからかくれて盗み聞きをする必要は更にない点

3 甲第一号証を示されて同人は全然見てもゐないのに「お示しのメモの原本は被告が原告等と面接した昭和二十七年十二月二十五日に笹本に渡したもの」と証言してゐる点(同人第二回四問)

4 隣室で聞いたにしてはあまりにも詳しく知つて居り他面被上告人の妻の在宅か否かを知らなかつた点

5 柳原はまが同日被上告人の他誰も居ないので被上告人に尋ねた処息子は名古屋へ家内は岐阜(旧市内)に行つたと答えてゐる点(原審柳原はま証人尋問調書)

等より見て当日高橋正六は在宅しなかつたのに同人が敢えて偽証を行なつてゐることを推認することは極めて容易である。原判決は斯る措信すべからざる証拠を以て事実認定の極め手としてゐるのである。

四、更に書証の採否に関しても同断である。

イ、原判決は控訴取下を為した旧事件につき被上告人は勝訴を確信してゐた旨の事実認定を為してゐるが、これに対し上告人側が勝訴を確信してゐたことの最有力な基礎たる甲第八号証の一乃至五(被上告人が賃料供託金を受領せる証明書)に関しては一顧もせず全然判断をなしてゐない。

ロ、原判決は甲第三号証に関しその作成者たる第一審証人白木常一の証言と共にこれ等は到底措信することはできないと判示してゐるが少くとも被上告人の伝言がなければ斯る文書は成立しないものであるしこれに反する高橋正六の証言こそ前述の如く信を措くべからさるものである。

五イ、更に原判決は予断を以て為されたものであることを疑うべき事実がある。

原審裁判に関与したる裁判官伊藤淳吉は本件の原因となつた岐阜地方裁判所昭和二十三年(ワ)第一六四、一六五、一六六号建物収去土地明渡請求事件を審理し判決を為したる裁判官である。本件は其の判決の強制執行に関する請求異議事件であるから一応別件とは云うものの同一事件の継続と云うべく従つて同裁判官は本件裁判より除斥せらるべきであり少なくとも回避すべきであつた。

ロ、右の如く原判決が予断を以て為されたとの疑を強からしむるものは原判決を為した名古屋高等裁判所の同じ部に於て伊藤淳吉裁判官の関与せざる本件と同型内容である。申立人柳原はま外二人相手方高橋保之助間の名古屋高等裁判所昭和二十九年(ラ)第七二号建物収去命令に対する即時抗告事件(此の即時抗告は前掲岐阜地方裁判所昭和二十三年(ワ)第一六四号建物収去土地明渡請求事件の執行力ある確定判決による建物収去命令に対するもの)の裁判で「申立人と相手方との間に右新賃貸借の交渉がなされたのみで、未だその妥結に至らなかつたことが窺はれる云々」と説示し、

原判決と異る事実認定がなされてゐることにあるのである。(甲第十三号証の三)

同し裁判所の同一部に於て同じ内容と経過を持つ事実に対し相異りたる事実認定がなさるることは、まことに歎かわしきことと云わねばならない。

五、以上記述せる如く原判決は論理、経験、法則を無視し、予断と恣意を以て為されたものと見るべきであつて、民事訴訟法第百八十五条に違背し、その結果は判決に重大な影響を及ぼすものであるから破棄されなければならない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例